どこへ向かって進むのか・・・?
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私にとって最重要同僚である友人は私の口癖を良く思っていない。ひとつは「バカ」。もうひとつは誰かを評する時に「顔がかわいいか、かわいくないか」をひとつの基準にすること。
「バカ」は確かに良くないんだけど、九州に居た頃「アホ」という言葉にお目にかかる場面はそう無かった。関西圏に移り住んでから「アホ」という言葉も使えるようになった。私の「バカ」は関西圏の「アホ」に近い。無意識になればなるほど「アホ」よりも「バカ」が使いやすいのだ。
だからと言っていつまでも人をバカにしていいのかと言うと良くない。毒づく私は人をバカにして何とか自分を保っている面がある訳だ。そろそろいい加減抜け出したい私は、我慢の限界とばかり穏やかに口を開いた友人の言葉に素直に従うこととした。「バカバカ気軽に言わないの」と注意された。確かに人も良い気分では無いのだ。
見た目の方に関しては従わない方向。
先日、新しくOPENしたカフェに一人行ってきたので感想を述べた際に、対応してくれたパティシエが「かわいかったよ」と言ったことに、またも我慢の限界で「かわいいとかはお店の評価に関係無いから」とのお答え。ま、確かにそうなんだけど。
店員さんが印象良いかどうかで、そのお店に対する良い気分が全然違う。良い気分のお店でお金を払った方が良いょ。最近はそういうのが自分の中で重要。
「かわいい」「綺麗」な人はそうあるためにある程度の努力をしてる。顔の造りがもともと良い人も「綺麗」という評価をキープするためにはスキンケアやファッションに気を配ってる。その評価に至る価値がまずあるということ。
その先で美人なのに性格が悪いとか問題がある場合もあるけど、そこから先はまた別の話。それを知って離れる人も居るだろう。そこは本人が自覚していく問題であって本人以外には無関係。
「かわいい人」や「綺麗な人」はそれだけで人に優しくしてもらえる。そこで人間性も良ければもっと支援してもらえるだろう。多分、そういう人は人にも優しい。
スタートラインが違う。知れば良い人だった。そんな人は沢山居る。もちろん、それで良い。でも見た目で良い評価を得て、知るともっと良い人だった。こうなると早い段階で良い空気に包まれることになる。逆の場合は、以下省略。
それ以前に「知れば」なんてあるんだろうか?コミュニケーション不足の現代に印象大して良くない人の理解を深めようと努力する人がどれだけ居るのか?もちろん努力した方が良いけど、私と同じ努力を人がするとは限らない。
長い間メイクに興味が深かったため、ヘアスタイルとファッションのセンスがイマイチだった。ファッションと立ち居振る舞いに少し力を入れ始めた時に「店員さん」の態度が変わった。サービスには何の変化も無い。自分の自信もあるかもしれない。
「見た目は関係無い。中身が重要だ。」という時代は終わった。そんな綺麗ごとをいつまで言うつもりだろう。人は綺麗なものが好き。
スポーツニュースを見れば明らかで、ちょっと前なら勝っても負けても脚光を浴びるシャラポワ。最近なら浅尾さんとかでしょか?1位になったのにワンカットしか映らなかった不動さん。それよりも下位の宮里さんが何カットも映った。
もはや見た目で「かわいくある」「綺麗である」ことは当たり前のマナーとまで言えそう。あとは品がある無しで評価が分かれていくんでしょう。
自分も時々「~じゃね?」と思わず口をついて出てしまう瞬間があるけど、テレビで若い女の子がそういう物言いをした時に下品な印象を受けた。すでに若い子の域を出た私が使うのはもっと下品なことだろう。直さねば。
「見た目」重要。年を取ると「見た目」+「品」が必要。
「バカ」は確かに良くないんだけど、九州に居た頃「アホ」という言葉にお目にかかる場面はそう無かった。関西圏に移り住んでから「アホ」という言葉も使えるようになった。私の「バカ」は関西圏の「アホ」に近い。無意識になればなるほど「アホ」よりも「バカ」が使いやすいのだ。
だからと言っていつまでも人をバカにしていいのかと言うと良くない。毒づく私は人をバカにして何とか自分を保っている面がある訳だ。そろそろいい加減抜け出したい私は、我慢の限界とばかり穏やかに口を開いた友人の言葉に素直に従うこととした。「バカバカ気軽に言わないの」と注意された。確かに人も良い気分では無いのだ。
見た目の方に関しては従わない方向。
先日、新しくOPENしたカフェに一人行ってきたので感想を述べた際に、対応してくれたパティシエが「かわいかったよ」と言ったことに、またも我慢の限界で「かわいいとかはお店の評価に関係無いから」とのお答え。ま、確かにそうなんだけど。
店員さんが印象良いかどうかで、そのお店に対する良い気分が全然違う。良い気分のお店でお金を払った方が良いょ。最近はそういうのが自分の中で重要。
「かわいい」「綺麗」な人はそうあるためにある程度の努力をしてる。顔の造りがもともと良い人も「綺麗」という評価をキープするためにはスキンケアやファッションに気を配ってる。その評価に至る価値がまずあるということ。
その先で美人なのに性格が悪いとか問題がある場合もあるけど、そこから先はまた別の話。それを知って離れる人も居るだろう。そこは本人が自覚していく問題であって本人以外には無関係。
「かわいい人」や「綺麗な人」はそれだけで人に優しくしてもらえる。そこで人間性も良ければもっと支援してもらえるだろう。多分、そういう人は人にも優しい。
スタートラインが違う。知れば良い人だった。そんな人は沢山居る。もちろん、それで良い。でも見た目で良い評価を得て、知るともっと良い人だった。こうなると早い段階で良い空気に包まれることになる。逆の場合は、以下省略。
それ以前に「知れば」なんてあるんだろうか?コミュニケーション不足の現代に印象大して良くない人の理解を深めようと努力する人がどれだけ居るのか?もちろん努力した方が良いけど、私と同じ努力を人がするとは限らない。
長い間メイクに興味が深かったため、ヘアスタイルとファッションのセンスがイマイチだった。ファッションと立ち居振る舞いに少し力を入れ始めた時に「店員さん」の態度が変わった。サービスには何の変化も無い。自分の自信もあるかもしれない。
「見た目は関係無い。中身が重要だ。」という時代は終わった。そんな綺麗ごとをいつまで言うつもりだろう。人は綺麗なものが好き。
スポーツニュースを見れば明らかで、ちょっと前なら勝っても負けても脚光を浴びるシャラポワ。最近なら浅尾さんとかでしょか?1位になったのにワンカットしか映らなかった不動さん。それよりも下位の宮里さんが何カットも映った。
もはや見た目で「かわいくある」「綺麗である」ことは当たり前のマナーとまで言えそう。あとは品がある無しで評価が分かれていくんでしょう。
自分も時々「~じゃね?」と思わず口をついて出てしまう瞬間があるけど、テレビで若い女の子がそういう物言いをした時に下品な印象を受けた。すでに若い子の域を出た私が使うのはもっと下品なことだろう。直さねば。
「見た目」重要。年を取ると「見た目」+「品」が必要。
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