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どこへ向かって進むのか・・・?
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>自分
て、とこです。

以前よりもよく思う。「頑張る気がある子」「やる気がある子」には惜しみなく助言も助力もする、と。そしてやる気が無い人たちには求められなければ、そうしない、と。

以前までの私は頼まれなくても助言してうっとうしがられたものだ。だけど、伸びる気が無い人たちにとっては、どうあってもうっとうしいままなのだ。

頑張っている現状があって初めて人様のサポートが受けられるということ。

例えばスポーツジムで、何とかとりあえずダメなりに頑張っているとスタッフが声をかけてくれたりする。だけどヌルーく、軽ーく通ってる時はあまり声はかけられない。それは見捨ててるんじゃなくて、そこまでやってない状態で背中を押されるとむしろ気が重くなることを見越しての気遣いであると思ってる。だけど、その気遣いのおかげでいつまでも軽い取り組みのままなら向上の道は遠い。

知ってる。自分が手を抜いてる部分があるって。仕事での専門知識を積極的に吸収してない。知らなくても仕事はこなしていけるからだ。だけど、知ってたらより良い。勉強する気があれば教えてくれる人たちはいくらでも居るけれど、今の私は受け入れ準備が出来ていない訳だ。

結局、一部だけ手を抜いてる訳じゃない。私の今の人生に対する姿勢がそうなのだ。

人のこと冷めた目で見てる暇あるのかって。
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背が低い人はミ○ユニバースとか成れないのか?

対象年齢外れて尚こういう事言うのは単純な疑問だから。募集要項には背は書いてないけど、結局見ると背の高い人たちばかりだよね。

背の低い人は高身長モデルのようなクールでスタイリッシュなビューティは目指しにくいのか?まぁ…足の長さって問題があるからかなー。

でも背が低くてもそういうジャンル目指したい訳でお手本になる人たちが居てもいいのになぁと思う。タレントや歌手なんかで背が低くてもちゃんとプロデュースされてて素敵な人は居るけれど、なかなかテレビや雑誌を探す範囲が広い。例えば歌手なら音楽番組とか狙って見ないといけない。「ファッション誌」でも「背の低いファッション誌」とか出てきてもいんじゃないか?いゃ今も私が知らないだけであるのかもしれない。

ただ背低さんになると「かわいい系」になりがち。合ってるよね。失敗が少ないジャンルだしマッチしてるしで、そういうのは街でも成功例を見かける。

だけどもー、私はそういう系じゃなくて背高さんのような雰囲気になりたい訳で、方向間違ってると言われたらそれまでだなぁ。

例えば「そうでもない顔」の人でもプロにメイクしてもらって近寄って写真撮ると、つまり単品で見るとちゃんと良く見えるよ。

背や目が大きいことのメリットは遠めでも映える、大勢の中でも目立てるという利点がある。故に芸能人と呼ばれる人たちには自然と大柄さんや派手顔さんが多い。

メイクは結構やりようあるけど背はねぇ…なんともならんのよ。背の高い人が10センチヒールなんて履いた日にゃ、もうお手上げな訳。あ、比べない比べない。それにしたって、なんとか単品で素敵に輝けないものかしら?と思う今日この頃。

逃れなければいけない日常が、ストレスがあるなんて嫌だなぁ。だけど現状はそうだ。

逃れなくて良い楽しい日常があればいいのに。

なんだか、イージーだったはずの今週はつらくて、「やっと土日だ。休みだ」って思ってしまった。何するでも無いけど、日常を忘れてストレスを消し去ることに集中した方が良いだろう。ストレス溜めると爆発するからね~。

ルーティンワークが嫌いな私は毎日色々アイディアを考えていて、仕事は楽しい。それでいいはずなのに、ルーティンワークしかしたくない人たちを見てイライラしてストレスを感じる。違う種類の人々が存在するからこそ社会が成り立っているのに、その自然を許せない器の小さい私。

もっと「これでいい。これがいい。」「完璧じゃなくていい。それがいい。」って芸能人が何度となく訴えるその感覚を私も養いたい。(訴える以上はその人たちも今でこそそう思うようになったという経緯があるはずだ。)

正解なんて無いのが現実社会ってやつなんだろうけど、つい正解を求める。

今日、嫌なことがあった。

目に余るダメさを注意したところ、「確かに私が悪いけど、ちょっと言い方考えた方がいいんじゃない?」と逆に反論された。んん!ごもっとも。

嫌~な言い方しか出来ないのは私の欠点だ。大体、「言うぞ」って時はキレモードで向かう。まぁ戦闘モードね。いちいちストレスを感じてキレる大人ってどうよ?と冷静にはなるけれども…相変わらずやってしまう。最近はお互い様で、今後も顔を合わせるならギクシャクするような嫌な言い方は避けた方が無難だというヌルい考え方もする。一番いいのは相手も自分も嫌な感じにならないように上手く言うことだね。かなりの大人度を要求される高等技術だ。

嫌味言われても注意を素直に受け止めて成長してくるのが昔だったと思う。今は優しくオブラートに包んで言わないといけないらしい。特に若いもんに対してはね。ところが「若いもん」とか言ってるけど自分と同世代いやそれ以上の人たちにもそういう空気が伝染してて、骨のあるやつは既にあまり居ないらしい。まぁ自分にもほっそい骨しか無さそうだ。

「オブラートに包んで言えと言われましても、それで理解出来るんですか?」と瞬時に思ったが言わなかったよ。オブラートに包んで尚理解させるほどの高等技術が自分にあれば出来るんか?と思った訳で、言えば自分が出来ないと認めるような気がした。そこで自分を下げたら負け。相手の気分を害せずに言いたい事を伝えられる人格者も世の中のどこかには居る…だろう。そういうのを相手は求めてるんでしょう。(甘えてんじゃねーよと言いたいのをぐっとこらえた。)

ご忠告どうもありがとう。確かに私はそれで人望無くして損してるだろうさ。

人目のあるカウンターでひとしきりバトルなやり取りのあと、なんとか笑顔で仕事して、しばらくして冷静になって仕事がギクシャクしたら困るなって謝るシュミレーション開始。

相手がこちらを非難する以上はこちらが悪いという頭がある訳だから、そのイメージに合わせてこちらは謝るべきという結論。そうでなければ自分が居心地悪いという情けない話だ。

「ごめん。言い過ぎた」って子供のけんかのあとかのような一言を告げて終了。それでも後から涙が出るのって悔しいからかなぁ…?

注意してもらえるだけでもありがたいって思えよ!!反論することに頭使う暇あったら仕事にもっと頭使えよ!!注意に反論してるからいつまでも成長しないんだよ!!

などと思う。それでも大人になるために?自分の身を守るために?謝った訳だ。生温いと思う!正解ってなんだよ!?

30歳てーと大人な年齢なんだけど、果たして大人かというと全然大人じゃない。

とりあえずご飯あんまり作れないところが大人じゃない。

家族が居ると作る。嫌でもなんか作る。

ちなみに私もコンビニ食や外食はしてない。だけど日曜に作ったポトフを4日とかカレーを4日とか夕食に食べる。最近、本で覚えたダイエットメニューはアボカドとか玉子とか、納豆とか…そんなメニューだと「作る」にならない。せいぜい目玉焼きを焼く程度。ハマっていて連日そんなメニューだったりする。好きだし体に悪い訳では無いし、今のとこ問題は無い。

だけどさ、これが子供が居たら…?「またこれ?」と言われるでしょ。そりゃ言うでしょ。私でも言うよ。良さがわからないし、単純に飽きるし、好きとも限らないしでダメ母決定だ。

独身で居ることで大人化が遅くなってるのかな?とも思う。まともなご飯食べようとしたら自分で料理を覚えて作るか、親に作ってもらうかになる。出来れば親がご飯作ってくれてて自分は食べるだけがいいと思う時点で「大人じゃねーな」と思う。そこで「料理のスキル上げちゃう?」となるのが底力のある大人じゃないのか?

生活筋力が若干ついた今からは料理筋を鍛えねば素敵な大人ライフは送れんだろうと思ってしまった訳で…。

大人になりたい30歳。まだまだだな~。なんて言うてる間に40歳になっちゃうよ?

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