どこへ向かって進むのか・・・?
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目に見えないものを大切にするようになった。
それは「気分」。
「気持ち」ではない。
例えばそれは、電池の向き。電子機器の蓋をあけた時や、充電器に電池を並べる時に商品のロゴが綺麗にこちらを向いていたら気分が良い。以前は、そんなことはどうでも良くて、そこにこだわる事がバカバカしいし、時間の無駄だと思っていた。
だけど、ロゴが綺麗に並んだ電池を見たら気分が良いじゃない。それをしたのが自分であれ、お店の人であれ、単純に「見て気分が良い」のは変わらない。
だったら、その「良い気分」のために自分が少し手間をかけても良いんじゃないか?と思うようになった。
だけども「気分」て、なかなかやっかいで、人が違えば良いと感じるものも違うし、同一人物でも時と場合により感じ方が180度違うことがある。
ロゴを綺麗にならべる細かさが神経質に感じられて、ギスギスして来るならば、そこはユルく適当に入れたままの向きにするのが「良い気分」に該当する。
だけど、ユルくしている事柄に対して不快感を持つ様なら、ピシっとすればいい。
時々、ユルいのは不快だけど、そこを締めていくのもギスギスして、どっちも嫌な場合がある。それは…困る(苦笑)つまり「誰かやって」状態。
「気分」を大切にするのは良いとして、「自分は必ずこれが良い」と均質にはなれない。そこにイチイチ毎回気づいてカスタマイズすることはまた細かいことなんだけど、そういうのが出来るようになると「良い気分」で居られる時間は増えてくるのではないか?
予想だけど。
<補足>
仕事中は気分ではなく、相手のためだったり、仕事を遂行することを優先。「気分」はあって、それとは別行動で仕事をする。「気分」を無視する訳ではなく、優先しないだけ。または「そうじゃない」考え方に変換して、気分の回復を図る。なーんて言う様に出来たら苦しくないんだけど。
それは「気分」。
「気持ち」ではない。
例えばそれは、電池の向き。電子機器の蓋をあけた時や、充電器に電池を並べる時に商品のロゴが綺麗にこちらを向いていたら気分が良い。以前は、そんなことはどうでも良くて、そこにこだわる事がバカバカしいし、時間の無駄だと思っていた。
だけど、ロゴが綺麗に並んだ電池を見たら気分が良いじゃない。それをしたのが自分であれ、お店の人であれ、単純に「見て気分が良い」のは変わらない。
だったら、その「良い気分」のために自分が少し手間をかけても良いんじゃないか?と思うようになった。
だけども「気分」て、なかなかやっかいで、人が違えば良いと感じるものも違うし、同一人物でも時と場合により感じ方が180度違うことがある。
ロゴを綺麗にならべる細かさが神経質に感じられて、ギスギスして来るならば、そこはユルく適当に入れたままの向きにするのが「良い気分」に該当する。
だけど、ユルくしている事柄に対して不快感を持つ様なら、ピシっとすればいい。
時々、ユルいのは不快だけど、そこを締めていくのもギスギスして、どっちも嫌な場合がある。それは…困る(苦笑)つまり「誰かやって」状態。
「気分」を大切にするのは良いとして、「自分は必ずこれが良い」と均質にはなれない。そこにイチイチ毎回気づいてカスタマイズすることはまた細かいことなんだけど、そういうのが出来るようになると「良い気分」で居られる時間は増えてくるのではないか?
予想だけど。
<補足>
仕事中は気分ではなく、相手のためだったり、仕事を遂行することを優先。「気分」はあって、それとは別行動で仕事をする。「気分」を無視する訳ではなく、優先しないだけ。または「そうじゃない」考え方に変換して、気分の回復を図る。なーんて言う様に出来たら苦しくないんだけど。
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