どこへ向かって進むのか・・・?
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何かの話をする時に「それが安かった」とかってコメントを入れてしまう。物の中身にあんまし関係無いんだよね~。
凄く物凄くお金にとらわれてる。昔っからだ。つまらん人間だと思う。
お金基準で話なんてしたくない。
「うちは貧乏だから」って育てられてきた結果は重い。全然貧乏じゃなかったのにねぇ。
スタバに行くのは店員さんの笑顔が良いから。高い安いは関係無い。
常にそういう状態で居たい。
凄く物凄くお金にとらわれてる。昔っからだ。つまらん人間だと思う。
お金基準で話なんてしたくない。
「うちは貧乏だから」って育てられてきた結果は重い。全然貧乏じゃなかったのにねぇ。
スタバに行くのは店員さんの笑顔が良いから。高い安いは関係無い。
常にそういう状態で居たい。
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私にとって最重要同僚である友人は私の口癖を良く思っていない。ひとつは「バカ」。もうひとつは誰かを評する時に「顔がかわいいか、かわいくないか」をひとつの基準にすること。
「バカ」は確かに良くないんだけど、九州に居た頃「アホ」という言葉にお目にかかる場面はそう無かった。関西圏に移り住んでから「アホ」という言葉も使えるようになった。私の「バカ」は関西圏の「アホ」に近い。無意識になればなるほど「アホ」よりも「バカ」が使いやすいのだ。
だからと言っていつまでも人をバカにしていいのかと言うと良くない。毒づく私は人をバカにして何とか自分を保っている面がある訳だ。そろそろいい加減抜け出したい私は、我慢の限界とばかり穏やかに口を開いた友人の言葉に素直に従うこととした。「バカバカ気軽に言わないの」と注意された。確かに人も良い気分では無いのだ。
見た目の方に関しては従わない方向。
先日、新しくOPENしたカフェに一人行ってきたので感想を述べた際に、対応してくれたパティシエが「かわいかったよ」と言ったことに、またも我慢の限界で「かわいいとかはお店の評価に関係無いから」とのお答え。ま、確かにそうなんだけど。
店員さんが印象良いかどうかで、そのお店に対する良い気分が全然違う。良い気分のお店でお金を払った方が良いょ。最近はそういうのが自分の中で重要。
「かわいい」「綺麗」な人はそうあるためにある程度の努力をしてる。顔の造りがもともと良い人も「綺麗」という評価をキープするためにはスキンケアやファッションに気を配ってる。その評価に至る価値がまずあるということ。
その先で美人なのに性格が悪いとか問題がある場合もあるけど、そこから先はまた別の話。それを知って離れる人も居るだろう。そこは本人が自覚していく問題であって本人以外には無関係。
「かわいい人」や「綺麗な人」はそれだけで人に優しくしてもらえる。そこで人間性も良ければもっと支援してもらえるだろう。多分、そういう人は人にも優しい。
スタートラインが違う。知れば良い人だった。そんな人は沢山居る。もちろん、それで良い。でも見た目で良い評価を得て、知るともっと良い人だった。こうなると早い段階で良い空気に包まれることになる。逆の場合は、以下省略。
それ以前に「知れば」なんてあるんだろうか?コミュニケーション不足の現代に印象大して良くない人の理解を深めようと努力する人がどれだけ居るのか?もちろん努力した方が良いけど、私と同じ努力を人がするとは限らない。
長い間メイクに興味が深かったため、ヘアスタイルとファッションのセンスがイマイチだった。ファッションと立ち居振る舞いに少し力を入れ始めた時に「店員さん」の態度が変わった。サービスには何の変化も無い。自分の自信もあるかもしれない。
「見た目は関係無い。中身が重要だ。」という時代は終わった。そんな綺麗ごとをいつまで言うつもりだろう。人は綺麗なものが好き。
スポーツニュースを見れば明らかで、ちょっと前なら勝っても負けても脚光を浴びるシャラポワ。最近なら浅尾さんとかでしょか?1位になったのにワンカットしか映らなかった不動さん。それよりも下位の宮里さんが何カットも映った。
もはや見た目で「かわいくある」「綺麗である」ことは当たり前のマナーとまで言えそう。あとは品がある無しで評価が分かれていくんでしょう。
自分も時々「~じゃね?」と思わず口をついて出てしまう瞬間があるけど、テレビで若い女の子がそういう物言いをした時に下品な印象を受けた。すでに若い子の域を出た私が使うのはもっと下品なことだろう。直さねば。
「見た目」重要。年を取ると「見た目」+「品」が必要。
「バカ」は確かに良くないんだけど、九州に居た頃「アホ」という言葉にお目にかかる場面はそう無かった。関西圏に移り住んでから「アホ」という言葉も使えるようになった。私の「バカ」は関西圏の「アホ」に近い。無意識になればなるほど「アホ」よりも「バカ」が使いやすいのだ。
だからと言っていつまでも人をバカにしていいのかと言うと良くない。毒づく私は人をバカにして何とか自分を保っている面がある訳だ。そろそろいい加減抜け出したい私は、我慢の限界とばかり穏やかに口を開いた友人の言葉に素直に従うこととした。「バカバカ気軽に言わないの」と注意された。確かに人も良い気分では無いのだ。
見た目の方に関しては従わない方向。
先日、新しくOPENしたカフェに一人行ってきたので感想を述べた際に、対応してくれたパティシエが「かわいかったよ」と言ったことに、またも我慢の限界で「かわいいとかはお店の評価に関係無いから」とのお答え。ま、確かにそうなんだけど。
店員さんが印象良いかどうかで、そのお店に対する良い気分が全然違う。良い気分のお店でお金を払った方が良いょ。最近はそういうのが自分の中で重要。
「かわいい」「綺麗」な人はそうあるためにある程度の努力をしてる。顔の造りがもともと良い人も「綺麗」という評価をキープするためにはスキンケアやファッションに気を配ってる。その評価に至る価値がまずあるということ。
その先で美人なのに性格が悪いとか問題がある場合もあるけど、そこから先はまた別の話。それを知って離れる人も居るだろう。そこは本人が自覚していく問題であって本人以外には無関係。
「かわいい人」や「綺麗な人」はそれだけで人に優しくしてもらえる。そこで人間性も良ければもっと支援してもらえるだろう。多分、そういう人は人にも優しい。
スタートラインが違う。知れば良い人だった。そんな人は沢山居る。もちろん、それで良い。でも見た目で良い評価を得て、知るともっと良い人だった。こうなると早い段階で良い空気に包まれることになる。逆の場合は、以下省略。
それ以前に「知れば」なんてあるんだろうか?コミュニケーション不足の現代に印象大して良くない人の理解を深めようと努力する人がどれだけ居るのか?もちろん努力した方が良いけど、私と同じ努力を人がするとは限らない。
長い間メイクに興味が深かったため、ヘアスタイルとファッションのセンスがイマイチだった。ファッションと立ち居振る舞いに少し力を入れ始めた時に「店員さん」の態度が変わった。サービスには何の変化も無い。自分の自信もあるかもしれない。
「見た目は関係無い。中身が重要だ。」という時代は終わった。そんな綺麗ごとをいつまで言うつもりだろう。人は綺麗なものが好き。
スポーツニュースを見れば明らかで、ちょっと前なら勝っても負けても脚光を浴びるシャラポワ。最近なら浅尾さんとかでしょか?1位になったのにワンカットしか映らなかった不動さん。それよりも下位の宮里さんが何カットも映った。
もはや見た目で「かわいくある」「綺麗である」ことは当たり前のマナーとまで言えそう。あとは品がある無しで評価が分かれていくんでしょう。
自分も時々「~じゃね?」と思わず口をついて出てしまう瞬間があるけど、テレビで若い女の子がそういう物言いをした時に下品な印象を受けた。すでに若い子の域を出た私が使うのはもっと下品なことだろう。直さねば。
「見た目」重要。年を取ると「見た目」+「品」が必要。
ジムに通えるのは気に入った先生が居るから。先生に会いたいがために通うようなもの。始める時こそ「基礎体力」だの「健康」だのって理由を持つけど、そんなものは継続の原動力にならないのが私だ。
好きな芸能人を聞かれて女性しか名前を挙げることが出来なかった私が、ここ1年くらいで岡田くんの名前を挙げるようになった。彼の出演した映像作品がキッカケで興味を持ち始めたんだけど、決定打はananの連載エッセイ。彼とはひとつしか年が違わない。業界こそ違えど仕事に対する考え方とか、励まされる部分がある。最近は毎回立ち読みしてしまうハマりっぷり。
今週号は体調の整え方で、岡田くんが水を飲みながらお風呂につかると書いてあった。早速その場で水を探す私。入浴剤も買いましたょ。
「体に良い」とかより「あの人がやってる」の方がしっくり来るのはダメ人間のような気は確かにする。でもさ、もう何でもいいよ。「やらない」より「やる」方が何でも良いんだもん。
私の場合、色々考えた末に結局何も出来ないことが多い。「行動する」ことが何よりも重要であることはもうわかってる。
例えば子供時代に物凄く好きだったアニメのビデオシリーズもレンタルしなかったから、見ないままに大人になった。物凄く好きだったけどテレビシリーズの思い出しかない。お小遣いのやり繰りを考えただけで時間が過ぎた結果だ。
欲しかった本やCDもその時スルーしたら手に入れないままだ。手元に残った本やCDたちが今の私を作っている。
だから、今日も私は不純な動機で「行動」を続ける。
好きな芸能人を聞かれて女性しか名前を挙げることが出来なかった私が、ここ1年くらいで岡田くんの名前を挙げるようになった。彼の出演した映像作品がキッカケで興味を持ち始めたんだけど、決定打はananの連載エッセイ。彼とはひとつしか年が違わない。業界こそ違えど仕事に対する考え方とか、励まされる部分がある。最近は毎回立ち読みしてしまうハマりっぷり。
今週号は体調の整え方で、岡田くんが水を飲みながらお風呂につかると書いてあった。早速その場で水を探す私。入浴剤も買いましたょ。
「体に良い」とかより「あの人がやってる」の方がしっくり来るのはダメ人間のような気は確かにする。でもさ、もう何でもいいよ。「やらない」より「やる」方が何でも良いんだもん。
私の場合、色々考えた末に結局何も出来ないことが多い。「行動する」ことが何よりも重要であることはもうわかってる。
例えば子供時代に物凄く好きだったアニメのビデオシリーズもレンタルしなかったから、見ないままに大人になった。物凄く好きだったけどテレビシリーズの思い出しかない。お小遣いのやり繰りを考えただけで時間が過ぎた結果だ。
欲しかった本やCDもその時スルーしたら手に入れないままだ。手元に残った本やCDたちが今の私を作っている。
だから、今日も私は不純な動機で「行動」を続ける。
人と目を合わせるのが苦手
と
人の気持ちを無視してつまらない話を続ける
がリンク。目を見ないから相手の様子が汲み取れない。だから無視して話続けられるんだ。無関係な欠点だと思ってたけど違うね。
英語のレッスンを受けて早3ヶ月。復習ほぼしてないから当然だけど上達速度が遅い。相変わらずリスニング力が弱い。
最初の先生が言ってたのは「発音が悪いから、リスニングも出来ない」だ。単語は多分、聞き取れたら後は調べたり覚えたりすれば解決してく。発音から全てへリンクか。
部屋が片付いていると集中出来る。きっと英語の復習はテーブルの上を片付けていれば出来ること。というか、出来ていた。英語始めた頃はまだ部屋が綺麗でテーブルの上に物が無かった。片付いた部屋と集中力がリンク。
と
人の気持ちを無視してつまらない話を続ける
がリンク。目を見ないから相手の様子が汲み取れない。だから無視して話続けられるんだ。無関係な欠点だと思ってたけど違うね。
英語のレッスンを受けて早3ヶ月。復習ほぼしてないから当然だけど上達速度が遅い。相変わらずリスニング力が弱い。
最初の先生が言ってたのは「発音が悪いから、リスニングも出来ない」だ。単語は多分、聞き取れたら後は調べたり覚えたりすれば解決してく。発音から全てへリンクか。
部屋が片付いていると集中出来る。きっと英語の復習はテーブルの上を片付けていれば出来ること。というか、出来ていた。英語始めた頃はまだ部屋が綺麗でテーブルの上に物が無かった。片付いた部屋と集中力がリンク。
何となく寂しい週末。レンタカーで抱えきれないほど買ってきたものを置きっぱなしで、やりたい事半分しかせずに休日が終わりかけた頃、親から電話があった。
一人で暮らしてるけど、一人じゃないよな~。
寂しいから誰かと一緒に居るなんて動機は嫌なんだけど、究極寂しいから誰かと一緒になるんじゃないの?その相手が「この人と居たい」というオンリーワンな人なら言うことなし。
寂しいとうさぎは死んじゃうからね。家族は大切にね。
一人で暮らしてるけど、一人じゃないよな~。
寂しいから誰かと一緒に居るなんて動機は嫌なんだけど、究極寂しいから誰かと一緒になるんじゃないの?その相手が「この人と居たい」というオンリーワンな人なら言うことなし。
寂しいとうさぎは死んじゃうからね。家族は大切にね。