どこへ向かって進むのか・・・?
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月々の余剰金が自分の欲しい物に追いつかないから常に欲しい物リストが順番待ちしてる。
何かの拍子に順番が後回しだったり、リストに入ってない物をポンと買ってしまうことがある。その時って予期せず運命の出会いをした場合か、順番の感覚が狂って、思わず他のものを飛び越えて買ってしまう場合がある。
運命の出会いの時にはお金に余裕があろうが、なかろうが、買ってしまう。もちろん待ってお金をある程度貯めてからの場合もあるけれど、優先順位が初登場1位になるから、今でも後でも買う。それは買っても後悔しない物である場合が多く、それはそれで良い。
問題は感覚が狂ってポンと買ってしまうことだ。
「お金に余裕がある」とちょっと油断した隙なんかに、目についた物を買ったりする。余裕と言っても欲しい物、優先順位の高い物がすべて手に入る訳じゃない。手堅く今の一番を選び取る必要がある。
こんな性質があるから、お金を稼ぐようになっても無駄遣いでお金が流れていきそうだ。
お金があっても、なくても欲しい物ってあって、優先順位もあって、譲れないポイントとかも実はあって、その軸がブレないように居なきゃいけない。お金が足りない時には「今は買えないけど、これはマストだよな」と思ってる物をお金がある時に買う。でなきゃ、お金が無い時に譲れないと思って意識を持ち続けてきたことが無意味だ。お金が無くても外せないと思っているものって、やっぱり外せないんだ。省けない。
だから、お金がある時ほど無駄遣いしてしまいそうな油断を振り払うことが必要。実はお金が手元にあることの方が危険なのである。無駄に買い、無駄な物が家に置かれることでむしろ貧乏なのである。使うお金が増えて貧乏になるとはおかしな話だ。
お金があることよりも、お金を使う自分をコントロールする頭があることが重要だ。お金を稼ぐよりも難しいかもw
何かの拍子に順番が後回しだったり、リストに入ってない物をポンと買ってしまうことがある。その時って予期せず運命の出会いをした場合か、順番の感覚が狂って、思わず他のものを飛び越えて買ってしまう場合がある。
運命の出会いの時にはお金に余裕があろうが、なかろうが、買ってしまう。もちろん待ってお金をある程度貯めてからの場合もあるけれど、優先順位が初登場1位になるから、今でも後でも買う。それは買っても後悔しない物である場合が多く、それはそれで良い。
問題は感覚が狂ってポンと買ってしまうことだ。
「お金に余裕がある」とちょっと油断した隙なんかに、目についた物を買ったりする。余裕と言っても欲しい物、優先順位の高い物がすべて手に入る訳じゃない。手堅く今の一番を選び取る必要がある。
こんな性質があるから、お金を稼ぐようになっても無駄遣いでお金が流れていきそうだ。
お金があっても、なくても欲しい物ってあって、優先順位もあって、譲れないポイントとかも実はあって、その軸がブレないように居なきゃいけない。お金が足りない時には「今は買えないけど、これはマストだよな」と思ってる物をお金がある時に買う。でなきゃ、お金が無い時に譲れないと思って意識を持ち続けてきたことが無意味だ。お金が無くても外せないと思っているものって、やっぱり外せないんだ。省けない。
だから、お金がある時ほど無駄遣いしてしまいそうな油断を振り払うことが必要。実はお金が手元にあることの方が危険なのである。無駄に買い、無駄な物が家に置かれることでむしろ貧乏なのである。使うお金が増えて貧乏になるとはおかしな話だ。
お金があることよりも、お金を使う自分をコントロールする頭があることが重要だ。お金を稼ぐよりも難しいかもw
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雑誌の何気ない取材で使われている芸能人が着ている衣装。見ると平気で10万以上だったりする。
別に高いものでなくてもオシャレは出来る。特に最近は低価格でもオシャレな服が沢山選べる。
だけど、仕事で「良い物」に触れれば良さはわかる訳で、人に見られる仕事だから、お金稼いでいるから、という理由を除いても、「良い物を使いたい」という理由で芸能人は高い服を買ってしまうんじゃないだろうか?
私には今のところ10万円の服と1万円の服の区別がつかない。店頭で触れることもほとんど無いし、そういうお店に入ることも無い。
私のこれまでの人生で、1着(上着だけとか)で5万円を超えるものに袖を通したことがあるだろうか?いや3万も超えてない気がする。コートでも3万してないか。
高い服を着ることは人生においてマストではない。高い服1着より安い服10着でバリエーションを増やしたいとも思う。
ファッションにどこまでお金をかけるかは、現実の経済状況とその人の自己満足をどの範囲まで満たすかに尽きる。服が趣味ならお金をかけるだろうけど、趣味では無いけどオシャレはしたいという中途半端な私はどうしたらいいんだろう?現実が追いついてない今は…関係無いか。
別に高いものでなくてもオシャレは出来る。特に最近は低価格でもオシャレな服が沢山選べる。
だけど、仕事で「良い物」に触れれば良さはわかる訳で、人に見られる仕事だから、お金稼いでいるから、という理由を除いても、「良い物を使いたい」という理由で芸能人は高い服を買ってしまうんじゃないだろうか?
私には今のところ10万円の服と1万円の服の区別がつかない。店頭で触れることもほとんど無いし、そういうお店に入ることも無い。
私のこれまでの人生で、1着(上着だけとか)で5万円を超えるものに袖を通したことがあるだろうか?いや3万も超えてない気がする。コートでも3万してないか。
高い服を着ることは人生においてマストではない。高い服1着より安い服10着でバリエーションを増やしたいとも思う。
ファッションにどこまでお金をかけるかは、現実の経済状況とその人の自己満足をどの範囲まで満たすかに尽きる。服が趣味ならお金をかけるだろうけど、趣味では無いけどオシャレはしたいという中途半端な私はどうしたらいいんだろう?現実が追いついてない今は…関係無いか。
コッシー(男)というあだ名の人が職場に居る。
入って来た頃は、やたら早口だし、目ぇ合わさないし、デスクに漫画の絵のクリアファイルあるしで「根暗のオタクの友達居ない奴なんだな」という印象だった。
オタクは特に否定しない。私も漫画好き。だけど、コミュニケーションが苦手な人とは仕事がうまくいかないから心配したものだ。
現在は、私たちに馴染み仕事はうまくいっている。むしろ、頼りにされている。
なんというか骨惜しみせず働く良い奴なのだ。気がきくし、親切。理不尽なことには文句を言うが、穏やかで優しい奴だ。
コッシーを見ていると「これはウチの仕事ではない」と線引きしてハネる自分が恥ずかしく思える。
もちろん本業を遂行するために他部署の仕事は、本来の担当部署にしてもらう。だけど、どこがするでもない雑用(面倒系)くらいは買って出るべき?と思う今日この頃。
コッシーは人の仕事も黙って文句言わずにやってのける。
彼はいつか報われるねぇ。
そして思った。人って見ているものだねぇ。私みたいに。
入って来た頃は、やたら早口だし、目ぇ合わさないし、デスクに漫画の絵のクリアファイルあるしで「根暗のオタクの友達居ない奴なんだな」という印象だった。
オタクは特に否定しない。私も漫画好き。だけど、コミュニケーションが苦手な人とは仕事がうまくいかないから心配したものだ。
現在は、私たちに馴染み仕事はうまくいっている。むしろ、頼りにされている。
なんというか骨惜しみせず働く良い奴なのだ。気がきくし、親切。理不尽なことには文句を言うが、穏やかで優しい奴だ。
コッシーを見ていると「これはウチの仕事ではない」と線引きしてハネる自分が恥ずかしく思える。
もちろん本業を遂行するために他部署の仕事は、本来の担当部署にしてもらう。だけど、どこがするでもない雑用(面倒系)くらいは買って出るべき?と思う今日この頃。
コッシーは人の仕事も黙って文句言わずにやってのける。
彼はいつか報われるねぇ。
そして思った。人って見ているものだねぇ。私みたいに。
気温が上がってきたので3月くらいからほぼ毎週スポーツクラブに通う生活に戻った。4月からピラティスのレッスンが復活したおかげで気持ちもアップ。
とにかく「通う」ことが肝だと自分に言い聞かせて、自分が嫌にならないよう自分を甘やかして辛くなる前に止めて帰ってくる。
通わないことが最大の敵!夏~冬の間1ヶ月1回ペースが続き「辞めるか?行くか?」を呪文のようにリピート。お金も気持ちも消耗した。
4月からの入会者が増えたのか、今日はいつもより賑わっていた中で、女性がバーベル上げ(?)をトレーナーのもとしているのを見て感じたこと。自分はすることは無いだろうと思う理由が、覚えるのが億劫なのだと感じる。(見ていると5回上げて、休んで、重さを変えて、とかみたい)
筋トレのマシンも全く使わない。入会当初に簡単に教えてもらっただけでは全く覚えられなかった。使い方の写真はそれぞれに貼ってあるけれど、やはり細かいことまで注意が向かないから正しい知識が頭に入ってないと危険だという認識がある故に使えない。(腕が曲がってると駄目とか)
トレーナーに付いてもらってやる程、やる気があるわけでもない。
と、言うか筋トレマシンを使うならバランス良く「ここと、ここの筋肉」と複数を使い分ける必要がある、はず。多分ね。
その知識を頭に入れるのも、また億劫。故に筋トレマシンには近寄らない。
本を読んで得る知識はスイスイ頭に入るけど、そういうのは目下、苦手分野。逆に国語・数学とかは苦手だったけど「ナントカ筋が」とか「アミノ酸が」とかはどんどん覚えた人たちも居るはずだ。要は好きだったり、得意だったりの違いなんだろう。思いっきり文化系の私には無理もない話か?
トレッドミル(ウォーキングマシン)嫌いもフラフラするのが嫌なのと、ある日機種が変わって使い方が覚えられなかった為に(変わった時に教えてもらったのに!)しばらく近寄れなかった。
今はやる気があれば走れるけれど、それもランニングに関する知識があるから出来ることだ。足首を痛めないようにとか、水分をマメに補給とか、姿勢とか簡単なこと。
今の私には運動すること自体がまず重要で、スポーツクラブにたどり着くこと、しかもスタジオレッスンを受けている今は「時間通りに」着くことが重要で、およそ頭は使ってないみたい。(家をいかに早く出るかに使っているかも…)
余裕の頭で「ナントカ筋とナントカ筋をあのマシンとこのマシンで鍛えよう」という日が来ればいいけど…。
とにかく「通う」ことが肝だと自分に言い聞かせて、自分が嫌にならないよう自分を甘やかして辛くなる前に止めて帰ってくる。
通わないことが最大の敵!夏~冬の間1ヶ月1回ペースが続き「辞めるか?行くか?」を呪文のようにリピート。お金も気持ちも消耗した。
4月からの入会者が増えたのか、今日はいつもより賑わっていた中で、女性がバーベル上げ(?)をトレーナーのもとしているのを見て感じたこと。自分はすることは無いだろうと思う理由が、覚えるのが億劫なのだと感じる。(見ていると5回上げて、休んで、重さを変えて、とかみたい)
筋トレのマシンも全く使わない。入会当初に簡単に教えてもらっただけでは全く覚えられなかった。使い方の写真はそれぞれに貼ってあるけれど、やはり細かいことまで注意が向かないから正しい知識が頭に入ってないと危険だという認識がある故に使えない。(腕が曲がってると駄目とか)
トレーナーに付いてもらってやる程、やる気があるわけでもない。
と、言うか筋トレマシンを使うならバランス良く「ここと、ここの筋肉」と複数を使い分ける必要がある、はず。多分ね。
その知識を頭に入れるのも、また億劫。故に筋トレマシンには近寄らない。
本を読んで得る知識はスイスイ頭に入るけど、そういうのは目下、苦手分野。逆に国語・数学とかは苦手だったけど「ナントカ筋が」とか「アミノ酸が」とかはどんどん覚えた人たちも居るはずだ。要は好きだったり、得意だったりの違いなんだろう。思いっきり文化系の私には無理もない話か?
トレッドミル(ウォーキングマシン)嫌いもフラフラするのが嫌なのと、ある日機種が変わって使い方が覚えられなかった為に(変わった時に教えてもらったのに!)しばらく近寄れなかった。
今はやる気があれば走れるけれど、それもランニングに関する知識があるから出来ることだ。足首を痛めないようにとか、水分をマメに補給とか、姿勢とか簡単なこと。
今の私には運動すること自体がまず重要で、スポーツクラブにたどり着くこと、しかもスタジオレッスンを受けている今は「時間通りに」着くことが重要で、およそ頭は使ってないみたい。(家をいかに早く出るかに使っているかも…)
余裕の頭で「ナントカ筋とナントカ筋をあのマシンとこのマシンで鍛えよう」という日が来ればいいけど…。
子供の頃は無意味に東京に住みたいなぁと憧れたものだけど、大人になってそれは無くなった。「偶然、芸能人を見かけた!」とかには今も憧れるけどw
お買物はネットの発達で地方でも大きな不便を感じることは減ってきた。
一度、観光で訪れた東京では「今日は何のイベントが?」と思ってしまうほどに溢れる人にクラリとした。地元でも、地方でもいいじゃないと思う今日この頃だったけど…。
やはり東京はいいよね。
求めればそこに求めるものがある東京。
例えば、舞台公演。俳優さんがバラエティの最後に宣伝したりするけど公演場所は東京だけなんてものが山ほどある。よほど好きな俳優さんの公演を見に東京に出かけて行くのは有りだけど、幅広く観劇したければやはり東京だ。
カリスマパティシエの居るカフェ。執事喫茶。メイドさんがやって来る家政婦サービス。個人にアドバイスしてくれるファッションコーディネーター。それからおけいこ事は種類も教室の数も多い。
以前から感じていたけれど、久々に痛感したのは今、話題の「朝活」。「流行っている」と言うから調べてみたら見事に東京の地名しか出てこない。流行ってるのね、確かに。東京では。
東京とは
人口が多い→比例して若者の数も多い→比例して志の高い若者の数も多い→「朝活」に人が集まる
こういうことなんでしょう。商業にしても「需要あらば供給有り」な感じだ。地方では多少の需要があっても供給を回せるだけの需要が続かないから誰も手を出さない。
なんでも数があれば良いとは言えないけれど、少ない数で確実な良さを求めるのは無理がある。数ある中に少しの良い物があると考えるのが現実的。
集まったはいいけど変な人ばかりだった…なんて嫌だもんなぁ…。自分がその変な人かもしれないけどさっ。
お買物はネットの発達で地方でも大きな不便を感じることは減ってきた。
一度、観光で訪れた東京では「今日は何のイベントが?」と思ってしまうほどに溢れる人にクラリとした。地元でも、地方でもいいじゃないと思う今日この頃だったけど…。
やはり東京はいいよね。
求めればそこに求めるものがある東京。
例えば、舞台公演。俳優さんがバラエティの最後に宣伝したりするけど公演場所は東京だけなんてものが山ほどある。よほど好きな俳優さんの公演を見に東京に出かけて行くのは有りだけど、幅広く観劇したければやはり東京だ。
カリスマパティシエの居るカフェ。執事喫茶。メイドさんがやって来る家政婦サービス。個人にアドバイスしてくれるファッションコーディネーター。それからおけいこ事は種類も教室の数も多い。
以前から感じていたけれど、久々に痛感したのは今、話題の「朝活」。「流行っている」と言うから調べてみたら見事に東京の地名しか出てこない。流行ってるのね、確かに。東京では。
東京とは
人口が多い→比例して若者の数も多い→比例して志の高い若者の数も多い→「朝活」に人が集まる
こういうことなんでしょう。商業にしても「需要あらば供給有り」な感じだ。地方では多少の需要があっても供給を回せるだけの需要が続かないから誰も手を出さない。
なんでも数があれば良いとは言えないけれど、少ない数で確実な良さを求めるのは無理がある。数ある中に少しの良い物があると考えるのが現実的。
集まったはいいけど変な人ばかりだった…なんて嫌だもんなぁ…。自分がその変な人かもしれないけどさっ。